父が逝った

 22年前のちょうど今の時刻。

 父が逝った。

 きっと、父も倒れる5分ぐらい前まで、自分が逝くなんて気がつかなかったんだと思う。

 急だったからなぁ。

 意識が無くなったのは、2時間位前のこと。

 私は翌日の帰京を前に、実家の台所で晩ご飯のために、スルメイカの刺身を一人作っていた時だった。

 病院にいた母から「とうさんが倒れた」と電話があった。

 病院で入院していて倒れたんだから、まぁ、それでも大丈夫なんではないか、と思った。

 「すぐに病院に来なさい」と言われた。

 えっ。

 何が起きたのかわからず、家の施錠などをして、病院まで10km以上の道のりの車を走らせた。

 夜で、道が空いていたこともあって、いつもよりも早く到着。

 病室に駆け上がった。

 父が全裸でベッドに横たわっていて、酸素吸入されていた。

 母から「(アメリカに留学中の)兄に至急連絡を取れ」と言われた。

 田舎では一番大きな県立病院だったけど、病院から国際電話はかけさせてもらえなかった。

 悔しい思いをしながら車で10分ほどの親戚の家まで車を飛ばし、兄に連絡、病室にとんぼ返りした時には、もう。

 どんどん血圧計の数字か下がっていって、ゼロにまでなった。

 お医者さんと看護師さんが、こちらを見て、何か言ってほしい、と訴えるような目。

 私は、その目に負けた。

 お袋に、訳もわからず「もういいよね」と言っていた。

 何が、もういいのか、全然わからなかったけど、そう言わざるを得ない、周囲の状況だった。

 その言葉で、その場の空気が緊張から解放されていくのがわかった。

 お医者さんが時計を見た。

 「20時13分です」

 それだけだった。

 母は、父に何が起きたのか、分からない様子だった。

 周囲には、家の近所の人や、親戚が(なぜか)大勢いた。

 簡単な検屍まで病院の廊下で待たされた。

 母も私もどうしてよいかわからなかった。

 今日はお盆。その日もお盆。

 親戚や知人はみな自宅でお酒を飲んで出来上がっていた。

 霊柩車も来ない。どこからも車の手配ができない、と言われたが、父を病院から運び出さなければならなかった。


 その日の午前中に見舞った時に、私が初めて買った車に乗りたいと、しきりに言っていたことを思い出した。父を、私の車に乗せた。不謹慎かもしれなかったけれど「なにも、死んでから乗らなくたって。生きているときに乗ってくれてもよかったのに」と思った。

 そうして私の車で自宅に帰った。

 自宅では、家の中が煌々と明かりがついていて、近所の人達の手で葬儀の準備がされていた。

 もう、なるようにしかならなかった。







 あんまり、急だった。なにも、こんなに急がなくったってよかったのに。。。


 22年前の今日、今は、そんな感じだった。



 なんかね、ふと思い出した。

 今日は、河口湖でとうろう流しが行われているはず。

 もう、あっちの世界に着いたのかなぁ。

 そんな夜。



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by WofNaka | 2013-08-16 20:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)  

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