雪の思い出

東京は久しぶりの積雪。ここ立川では30cmほど積もりました。雪と言えば私の誕生にまつわることもあり、今までにどんな思い出があるのか、書いてみたくなりました。

1。誕生

 53年前の明日、雪の朝に生まれます。
 当時、母は1歳の兄と自分の寝たきりの両親を看ていて大変な状況下にあったため、父の田舎からお手伝いさんにきてもらっておりました。そして、私は自宅でお産婆さんにとりあげられるのです。おぎゃ。
おそらく満身創痍での出産だったと思うのです。
そして、その日、父親(私の祖父)に「生まれたよ」って言ったら、父親が信じなかったって言ってました。

 私は、雪が解けて水滴になって朝日を受けてキラキラ光っているのが好きです。多分この世で一番きれいなものとして。

2。雪遊び

 小学校に行くと雪合戦やってます。体育の授業の中でも雪合戦を何度かやった記憶があります。かまくらを作るほど降らないので、あまりその記憶はありません。

3。そりすべり

 スキーをやるほどの場所は近くにはありませんでしたのでそりすべりをよく楽しみました。
肥料をいれるビニールの大きな袋の中に藁をいれると、ちょうどいい滑りのいい座布団だ出来上がります。これに乗ってすべったりしてました。
また、釜の蓋はひっくり返すと大きな下駄のようになります。この下駄の幅と同じ幅で雪のレールを作って、モノレールのような感じにして雪の斜面を滑って遊んでましたね。レールを何度も補強して作っていたし、日々の寒さでガッチリ凍っていたので、滑る速度は相当なものでした。場所は、友達の家の裏山で、秘密の場所でした。

4。スケート

 当時はまだ長靴に刃をつけただけのスケート靴しかありませんでした。我が家でも父が買ってきて、長靴の下にベルトで括り付けて、田んぼで滑ってました。もちろん、稲刈りをした後の田んぼでしたし、稲の刈ったところは稲がぴょんぴょん飛び出ていたので、滑りにくかったでしたね。それでも、上手な人はすいすい滑ってましたっけ。

5。朝

 雪が降った朝は、周囲に音がしない無音の世界でした。朝方、チェーンを巻いたトラックが走るチャリンチャリンチャリンチャリンと聞こえてきて、それが降雪の合図みたいでしたか。それ以外は、本当に無音の世界でした。

6。山

 竹やぶの側を通るとときおり吹く風で雪がいきなり落ちてきて、そういうのに限って背中に入ってしまったりしましたね。

7。庭

 庭は結構広かったので雪だるまを作ったりしました。玄関先にあった南天の実に雪が乗った色がきれいでした。

8。うさぎ

 母が、カレーライス用のご飯をかたどる器(アーモンドを半分にしたような形)を使ってうさぎを作ってくれました。雪を積めて、お皿のうえに載せて、南天の葉っぱで耳を、南天の実で目を入れると、うさぎみたいでした。

9。学校

 薪ストーブだったのですが、学校に行くとまず最初にストーブをつけます。日直が点けるのですが、それがとても寒かった。低学年生には上級生が点けに行くのですが、こちらは楽しかったですね。やっぱ小さい子供達はかわいかったからかと思います。
そして、ストーブの周囲の柵に、各自のお弁当をぶら下げます。温めるためなのですが、当時、お弁当箱の材質とかお箸を入れるケースの材質の関係でしょうか、温めてしまうといざ食べる時に開かなくなってしまうことが度々ありましたね。
そして、冬の前には薪割り。実際には業者さんが機械で割った薪を校舎の周囲に積み重ねて行くんですが、これも全校生徒が何日かかけてやってましたね。



10。車で帰省したとき

 雪と凍結が酷い朝、その日帰京する私に、幼なじみが、危ないから頼むから今日は帰るな、と止められました。道ばたのあちらこちらでおばちゃんたちがすってんころりんと滑っていたのでした。田舎に住んでいる幼なじみの頼みは聞き入れなければいけませんて。帰京を一日延期したのは言うまでもありません。
そして、その日の夜、恩師の死を知って、お通夜に出かけたり。それを思い出します。

11。車で帰省するとき

 必ず東京でタイヤにチェーンを巻く練習をしてから出かけてました。
条件が良いところでできなくて雪の中ではできないからです。何度かチェーンを途中で巻いた事がありました。雪道の運転のコツは、止まらないこと、ブレーキや急発進をしないこと。私の場合は、オートマだったけどギアチェンジをして走ってました。ブレーキは、どうしても止まらなければいけないときに、時速10km/h未満でしかかけませんでした。非常に疲れますけれど、スリップはなかったですね。

12。歩く

 雪道の歩き方ですが、ザクザク、バリバリさせて歩きます。案外、滑らないものです。
むしろ、雪がないように見える道の方が危ないです。凍結している可能性があるからですね。
なるべく両手は開けておく。出来れば傘ではなく帽子にする。急がない。

13。GWに十和田に出かけたとき

 4月末なのに雪に降られて、あれよあれよという間にどんどん積もってしまって、運転していて焦りましたね。すぐに宿に戻ってその日は動きませんでした。

14。遭難しかけた

 学生最後の年の冬、仙台の社会人の知人とアマチュア無線で陸前高田市の氷上山の中腹に出かけたときのこと。最初に車を止めた時に既にスタックしていたんだけど気がつかなかったんです。それで日も暮れてきたので帰ろうとなったとき、車がスタックしていることに初めて気がついて。出られなくなって。
そこは、玉山温泉からさらに1kmほど登ったところで、仕方なく無線で助けを呼んだのと、知人が1kmを下って温泉地に助けを求めた。結局、温泉地に宿泊していた土木作業の方のトラックで引っ張りだしてもらったのでした。
この時、初めて父に叱られました。これほどまでに叱られたのは最初で最後でした。そして、この時の知人はそれ以降こちらを敬遠してしまって二度と会う事もなく、その後、無線仲間の伝でサイレントキー(お亡くなりになった)と聞きました。この知人と私はそれまでの3年間に数多く仙台周辺に無線での移動をし、多くの方と無線をしたのです。
私は、社会人との付き合いで同等の立場にいたと思っていたのですが、親からみたらまだまだ子供で、父はその知人に責任を取れと、謝れと詰め寄ったのでした。そこが遺恨なのです。

雪はきれいだし幻想的だけれど、油断できない怖いものでもあるんですよね。


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by WofNaka | 2014-02-10 10:13 | 日記 | Trackback | Comments(0)  

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