もうすぐ5年
2015年 09月 18日
これは、母が逝った2010年の暮れに書いた記事です。
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今年9月に母が逝ったため、喪中です。
喪中のはがきを先月末に出し、その返事が夕方に届いた。
いずれも、母の古い友人や親戚の方で、一様に、母の優しさについて綴られていた。
自分で言うのもなんだけど、その優しさを受け継いだ私です。
母の友人のSさんとは、多感な女学生時代を過ごした方で、数年に一度ぐらいの割合でクラス会を開いていた人でした。
母がまだ入院中のとき、実家に行き、もう戻る事はないとわかっていたので、状差しから届いていた郵便物を持ってきていたのですが、その中に達筆な文(ふみ)があったのです。
なんか、母から電話をしてほしいと頼まれたように、突き動かされるように電話していました。
事情を説明したところ、ぜひ、生きている間にお話したいということでした。でも、母は既に、認知症が進んで会話にならなかったのです。それでも、見舞いに出かけた折に、携帯電話で何度か会話を試みたのですが、結局、叶いませんでした。
母は優しかったけれど、思った事をはっきりと言葉に表す人だったようです。大丈夫、そこも引き継ぎました。
もう一人の方は、中越地震の被災地にお住まいのいとこの方でした。
地震で車の中での生活のときに母から送られたものが、結局遺品になってしまったとかかれてありました。父も母もそういう時に、励ますことをすぐにやる人でした。そんな私もしっかりとその志を受け継いで、災害系のボランティア団体に所属しているのでありました。しかも、そのきっかけが中越地震であったことは奇遇でしょう。
また汚れる仕事をする方々には、必ずタオルとか飲み物とかを渡していました。子供の頃からそんなだったので、私の体にも染み付いております。
実は、それらの便りを受けて、いろいろと考えてしまい、整理がつかなく落ち込んでしまいました。涙が止まらなくなっておりました。
でも、今、ここでそれを書いたら、すこし落ち着いてきたのも事実です。
そして、返事を送って頂いた方々にお会いしたくなりました。いずれも関東ではありませんけど、母がそれを欲しているような気がしてなりません。生きているうちに。
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さて、Sさんとは、それから何ヶ月もしないうちに、連絡が取れなくなってしまいました。
亡くなられたのか、それとも認知症とかなのか、病気なのかはわかりませんが、いずれにしても、近いうちに母の元へ行くでしょうから、そうしたらゆっくりとおしゃべりをしてもらえればいいのかな、と思っています。
今晩、日付が変わる頃、母が逝ってから5年になります。
早いなぁ。
でも、ま、そういうことですわ。
by WofNaka
| 2015-09-18 08:59
| 日記
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