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1961年生れ/東ニ病気ノコドモアレバ…西ニツカレタ母アレバ…南ニ死ニサウナ人アレバ…北ニケンクヮヤソショウガアレバ…/弱い立場中心の世の中に/陸前高田市が故郷 @ja1toe


by WofNaka

ついに来た!!

 今日はバイクでお出かけ。

 私の後ろは誰も乗りたがらないから、夫人の後ろに上の娘が乗って、仕方がないから家族3人でバイクで出かけていた。

 本当は駅の北の方に行くつもりだったはずなのに、夫人が急に駅の方に戻り始めたので、仕方なく付いていった。

 そして駐輪場にバイクを停めたのだった。

 なんで? 北に行くはずじゃなかったの?


 その時だった。


 駅のそばにある、えび茶色をした大きなビルがゆっくりと傾いて倒れていくのが見えた。

 なんだ?

 何が起きた?

 そして周囲はもうもうとした土煙に包まれた。


 なんであそこだけ、と思った瞬間。

 地面のはるか下で、何かが起きたような、深い深いところで何か音がした。軽い振動も。

 なんだ、と思った瞬間だった。

 思いっきり下から突き上げられた。

 ドドーン!!

 駐輪場のアスファルトが割けて、バイクを押上げ、私は一瞬だけ、あの重いバイクを持ち上げるような格好になった。

 地震だ。

 しかも直下型。

 大きい。

 とうとう来てしまったか。

 ただ、思ったよりも周囲の状況が酷くない。


 すぐ持っていたノートパソコンを立ち上げて、気象情報を見た。

 ここの震度は8、地震の規模はマグニチュード10、震源の深さは200kmだとわかった。

 これは地中深すぎたところで起きたので、地表に来るまでに破壊力が収まったに違いないと思った。それでも震度8とは。


 すべてにおいて、世界最大規模の地震だということがわかった。



 私は、安全な場所に身を移して情報の整理にかかった。

 安全な場所って震央の真上でどこがあるのかって?

 そこは一畳にもみたない、けれども頑丈な壁に覆われたお風呂場だった。

 風呂桶は、その半分。

 一応、お湯も張ってあって、そこには先客がいた。

 その先客は、幼馴染の旧友だった。


  元気そうじゃないか、と声をかけられた。

  市役所職員がこんなところで風呂に入っていていいのか? (外は地震で大変だよ)

  ま、後でお茶でもしよう。報告書を書いて持ってきてね。と言われた。

 言われなくてもまとめるんだけどね。

 早速、データの整理にかかった。

 規模が大きかったのと、ここが震源地なので、すぐに情報は集まらなかった。

 それでもなんとかまとめあげて表に出た。


 一瞬、自分がどこにいるのかがわからなくなったようだった。

 あまりに外の様子が変っていて、あっけにとられた。

 そこはまず、立川ではなかった。

 海が近くにあった。

 舗装されていないまっすぐな道があった。

 あー、ここ、ここを知っている。

 私の田舎の小友浦のあたりだ。

 そこの半島から陸地側に繋がった道の、陸地側の交差点の先頭に、その旧友が乗った車があった。

 そこに駆け寄って、私も乗った。


 その周囲は、すでに道が崩壊していて、とても車が走れる状況になかった。

 ふと、爆音がするのでその方向を見ると、高田町方面から一台のオフロードバイクが疾走してきた。

 後ろに大きなアンテナを付けている。

 バイクは私たちがいる場所で急に向きを変えて、半島の方に走っていった。

 そしてその後ろから電線のようなものを引きずっていったから、私らの車は、それを手で上に避けなければならなかった。

 そのバイクには長い長いカウンターポイズを張っていたのだ。

 でも、周囲の人たちは、あいつは流されたんだ、と言う。

 道に停めていたバイクで無線をやっている間に、地震に遭って、一気に何キロもの先までその周辺の土地ごと飛ばされたということらしい。

 そう言えば、私も、立川にいたはずなのに、なぜか、数百キロも離れた故郷にいる。旧友と。

 私は、親戚が気になって、旧友に尋ねた。

 広田(半島の先)には行ける? 世田米には行ける?(山あいの方)、大船渡には行ける?(隣町)って。

 旧友は、どれも無理だよ、って答えた。

 私も、この状況じゃ無理だろうなと思った。


 その交差点は、私らが乗った車が動けないから、半島の方まで数珠つなぎになって止まっていた。

 周囲の人たちは、どこか通れる道がないかと、徒歩で歩き回っていた。


 その時だった。海の方の堤防が一気に崩れ落ちて、海水がそこまでやってきた。

 津浪か?

 いいや、津浪ではなく、土地の陥没だった。

 半島と陸を繋ぐ高さ数mの堤防が、地下の崩壊のために、崩れ去ったのだった。そして、その低い土地に水が流れ込んだんだった。

 ここは震源から数百キロも離れているから、津浪の影響はない。

 そんなことを分析していたら、さらに、こちら側の田んぼも地下に落ちていった。

 どんどんと私たちの車列の方に崩落が進んできた。

 逃げなければ。

 逃げなければいけないけど、どこに逃げられるって言うんだ。


そんな夢を見た。

夢だから良かった、とホッとしたんだけれど、その幼馴染の旧友。
東日本大震災で津浪の犠牲になったあの友人(Iくん)でした。

淡々と職務を全うしようとしたんだな、と、思った。 




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by WofNaka | 2015-11-27 11:40 | 夢の話 | Trackback | Comments(0)