東北への旅 〜それは被災地巡りの旅でもあった わが故郷よ 箱根山から〜
2013年 09月 30日
陸前高田市と大船渡市の間に450m足らずの山がある。その名も「箱根山」。小中学生の時には、秋の遠足の登山場所であった。その当時は足で登る以外に方法がなかったものだ。そして、今から25年程前に、車で山頂まで行けるようになり、途中には、気仙大工(宮大工)の伝承館などがある。一時、日本一?の滑り台もある。
そこからの展望は素晴らしく、天気が良ければ、遥か南に金華山を望むこともできる。
今回の目的のひとつは、ここからの今の大船湾、広田湾を見る事にあった。
まずは地図で。
ここからは、今回撮影したものを繋ぎ合わせたもの達。
①大船渡湾口から大船渡湾を。
②末崎町、碁石海岸、門の浜を望む。
③小友町、から正面に広田半島、右に広田湾。
④米崎町、から高田松原方面。
では、震災前と見比べです。
①大船渡湾口から大船渡湾を。(現在)
震災前のいつかは、ちょっと分からない写真の合成です。
右の湾内に向こうの陸地からまっすぐに延びているのがトンボロと呼ばれていた防潮堤です。震災で破壊されました。
③小友町、から正面に広田半島、右に広田湾。
地球が丸いのがわかります。写真の何枚かはちょっとずつ角度がついていきます。
震災前です。
小さいので分かりにくいかもしれませんが、ずいぶんと違うのがわかるでしょう。
右手広田湾と干拓地の堤防の位置が違います。震災後、左側に移動して堤防が作り直されています。
また、向かいの山(仁田山)の下あたりに集落があったのですが、全く見当たりません。皆、流されてしまいました。
④米崎町、から高田松原方面。
震災前です。
右側の高田松原の海岸線が震災後はぼやけてしまっています。
松原の消滅です。
これを拡大したのがこちら。まず現在。
こっちが震災前。
ま、だいたいですけど。
そして、こんなに奇麗な景色を見せてくれた我が故郷です。2010年10月撮影。
もちろん、高田松原がすべてではありませんよ。でもね、なんていうか、こういうのって理屈ではないんですよ。
昔の故郷よ、永遠に、心の中で、そして、ここのブログで。
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そこからの展望は素晴らしく、天気が良ければ、遥か南に金華山を望むこともできる。
今回の目的のひとつは、ここからの今の大船湾、広田湾を見る事にあった。
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①大船渡湾口から大船渡湾を。
②末崎町、碁石海岸、門の浜を望む。
③小友町、から正面に広田半島、右に広田湾。
④米崎町、から高田松原方面。
では、震災前と見比べです。
①大船渡湾口から大船渡湾を。(現在)
震災前のいつかは、ちょっと分からない写真の合成です。
右の湾内に向こうの陸地からまっすぐに延びているのがトンボロと呼ばれていた防潮堤です。震災で破壊されました。
③小友町、から正面に広田半島、右に広田湾。
地球が丸いのがわかります。写真の何枚かはちょっとずつ角度がついていきます。
震災前です。
小さいので分かりにくいかもしれませんが、ずいぶんと違うのがわかるでしょう。
右手広田湾と干拓地の堤防の位置が違います。震災後、左側に移動して堤防が作り直されています。
また、向かいの山(仁田山)の下あたりに集落があったのですが、全く見当たりません。皆、流されてしまいました。
④米崎町、から高田松原方面。
震災前です。
右側の高田松原の海岸線が震災後はぼやけてしまっています。
松原の消滅です。
これを拡大したのがこちら。まず現在。
こっちが震災前。
ま、だいたいですけど。
そして、こんなに奇麗な景色を見せてくれた我が故郷です。2010年10月撮影。
もちろん、高田松原がすべてではありませんよ。でもね、なんていうか、こういうのって理屈ではないんですよ。
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by wofnaka
| 2013-09-30 22:42
| 災害&ボランティア
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