カテゴリ:災害&ボランティア( 143 )

14年間の活動に終止符

2004年の夏。

それは、私が中学生の時に始めたアマチュア無線の開局30年だった。

それまでは、自分の楽しみとしてやってきたアマチュア無線だったけれど、もともと津波が常習的にやってくる土地で生まれ、災害の情報収集をしてきたことから、アマチュア無線を災害に役立てはしないか、との一念発起で関東のアマチュア無線のコールサインを取得、それを機に、アマチュア無線連盟の非常通信ボランティアに登録、こうして私のボランティア活動がスタートした。

いろいろとやった。
アマチュア無線での通信から通信の仕方についていろいろと考え温めてきたもので、救助犬の訓練でアマチュア無線を使っていることを知り、2年ほどそこで、通信の仕方を教えたり、自ら所属するボランティア団体でも通信訓練を実施、さらには、同じ思いの人とグループを作って、通信実験を行ったりした。

東日本大震災の前には、アマチュア無線クラブ同士で連携をしてネットワーク作りが必要だとか言って、アマチュア無線の祭典であるハムフェアーに参加し、お互いに名刺交換、意見交換をしたりした。

そうして迎えた東日本大震災。

あまりに大きな災害だったこと以上に、自身も体調を大きく崩して入院・手術(失敗)・再入院・手術を繰り返していた。

それでも、それでも、災害系のボランティアに向ける情熱は強く熱かったのに。。。

ね、どうしちゃったんでしょう的な。。。

やはり、仕事が干されたら、そこは難しいし。
ボランティアより仕事じゃないの、とのプレッシャーもあったし。
だんだんと強さに陰りが出てきた。

そしていろんなことがあって、ここ2年ほどは、どうやったらあの時のような熱い気持ちで向き合えるのか、とそんなことを考えていました。

そんな中でも仕事が決まり、しかもこのボランティアに向ける熱い思いが今の職場に向かわせて働き始めるのだけれど、その熱い思いを継続することはもはやできなくなってしまった。

そうしてついに辞めてしまう、アマチュア無線クラブ退会。
それでも、できることをやればいいと思って続けてきたけれど、今回、思いっきり体調を崩した。

遠い将来、の想定内の出来事だったけれど、たった、たった数日でそこに至ってしまった。
しかも、どうやって復旧したらいいのか、その目処も立たない中で、所属するボランティア団体に籍を置くことができないと判断。

14年間続いた災害ボランティアとの関わりは、ここで終わることになった。


頑張ったね、なかちゃん。


本当に頑張ったよ。
いろんな活動、楽しかった。

災害系ボランティアへの関わりはなくなったけれど、今までの積み重ねで得たものはあるし、ボランティアをすることの精神は残っているさ。
まぁ、あまりボランティアという言葉は好きではないけれど、その活動の精神は理解したつもり。

できることをこれからもやっていく、というところに変わりはないのだから。


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by WofNaka | 2018-05-27 18:38 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

災害系ボランティアへの熱い思いは。。。

2004年にアマチュア無線開局30年を記念して無線を災害時に役立てられないか、と思って、ボランティア活動を始めた。
中学生の頃に、故郷で繰り返される津浪災害を知った頃から少しずつ集めた災害情報もあった。
そしていろいろとやったんだな。

・救助犬の活動をしている団体に、通信の仕方を教えた。
・防災訓練している無線クラブに所属して活動しようとした。
・災害時に無線での連携を視野に入れて自分達でグループを作って遊びのような訓練や数々の実験をした。
・東海・東南海・南海地震を視野に入れて東海地方の無線クラブと連携を取ろうとした。

いずれも東日本大震災の前の話。

体力が衰えだした数年前からは、する側からされる側になってきたし、自分の中でそれまでの熱い思いが冷めてきた、という話は、以前にもしたことがある。
最近は、見えないところで地味なことをやっているのかな。
できる時にできることをやるのがボランティアであるとするならば、これからは分相応のことをやっていくのかな、と思う。

ところで、あの熱い熱い思いは、どこに行ったんだろう。

もう過去の話になってしまったんだろうか。





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by WofNaka | 2018-04-15 22:28 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

活動時刻の天気(百葉箱)

家を出た時:みぞれ、気温4.6度、北北西の風3m
集合時:雪、気温3.5度、北北西の風4m
設営開始時:雪、気温3.3度、北の風4m
提供時:雪(積雪有り)、気温2.2度、北の風3m
解体開始時:雪(積雪有り)、気温2.7度、北の風3m
反省会時:雪、気温2.8度、北北東の風2m
帰宅時:雨、気温4.8度、北北東の風3m
 
全部外でした。さすがにお昼は動いていても寒くて。
ただ、出かける時に、上は普段着の上にダウン、ジャンバー、合羽を着、下は普段着の上に暖パン、合羽を着、さらに師匠のお申し付け通りに、両足の甲、両太もも外側、腰の両サイドに計6枚のホカロンを貼って、出かけました。
 
朝の降りがそれほどでもなく、日中の予報も小雨だったので、バイクでお出かけ。途中、雪が積もっていくのを横目で見ながら不安な気分で活動、夜はともかく安全に安全にと言い聞かせながらバイクで帰宅しました。
 
ここんとこ身体の冷えから両足がつってしまうがありましたので、これだけの対策をとっての今日の参加になりましたが、やはり10年ほど前に活動していた救助犬の訓練で鍛えられたことと、バイクに乗って寒さに慣れてきていること、直前の両足のつりからの対策を万全にしたところあたりで無事に乗り越えられたものと、関係者に感謝しております。
 
天候の悪化は、一週間も前から毎日チェックしていたため、雪にはなることは想定内でしたけれど、寒かったでした。
でも、東日本大震災の発生した時から翌日まで、少なくとも生還した方々の映像では雪が降っていました。それの追体験をさせてもらったものと思っています。
 
そして、帰宅してからお風呂に入りましたが、冷えによる痛みはなく、でも筋肉痛の痛みだとわかる状況で、活動中にはわからなかったホカロン効果を帰宅してから実感した次第です。
さて、明日は休み。どんだけ痛みがでてくれるのでしょうか。


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by WofNaka | 2018-03-21 19:50 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

震災後の故郷への旅 〜津浪のあのとき、そして今〜

今回の故郷への旅の中で、震災当時の状況を知ることができるだろう、ということも目的の一つだった。
誰が言ったかは、読む人が読めばわかるだろうけど、念のため、わからないように順不同に並べてみます。
また、実際の発言への補足もしています。ご了承ください。

<深夜にも大津波があったのではないか>
・3月11日の23時頃にも大きな津浪が来たらしいんだが、夜だし暗いしで、だれも津浪は見ていない。
・火事場泥棒がすぐに現れて、深夜に懐中電灯で海岸近くを歩いていたのが、まるで蛍の光のようだったが、その23時頃の大きな津浪で払われてしまったようだ。今も行方不明と聞いている。神や仏はいるんだなと思った。
・近所のおばあさんが、夕方まであった自宅が夜が明けたら無くなっていたから、夜津浪があったのかもしれないと言っていた。
・その建物の一番てっぺんでかろうじて津浪から逃れた人に、深夜津浪がなかったかを聞いたけれど、自分が生きるのに精一杯で、下で何が起きているのか知らないと答えた。
・深夜23時の津浪はわからないけれど、日中大船渡湾内に浮かんでいたタグボートが、夜が明けたら、陸地の奥にあった。きっと大きな津浪があったんだと思う。暗いから誰も気がついていないけど。

<遺体探し>
・遺体を調べるのに、ひとりひとりの口を開けて、1本1本の歯を調べていく。とてもできない作業だと思うけれど、それを誠心誠意取り組んでいる姿に頭が下がる思いだった。
・水に浸かった遺体は身長が5cmくらいは伸びているものだと警察官から聞いたけれど、もっとそういう情報は早く欲しかった。身長が違うから、自分の子供だと気がつかなかった。
・ジャージのような服装をしていた人達の遺体は、全部脱げて無くなっていて、全裸の遺体が多かった。バンドなどで締め付けるような服装は脱げなかった。遺体にあったブラジャーに見覚えがあって自分の子供とわかった。
・最終的にはDNA鑑定になったが、3週間もかかると言われて途方に暮れたけれど、最終的にそれを受け入れた。
・昔の人の話だけれど、夜になると遺体から燐が出て炎が見えるので、それで遺体がどこにあるのかわかると言われて怖かった。
・昔の震災時(明治・昭和の三陸大津波の時の話)には、地引き網を使って遺体を収容した。砂浜に水を蒔くと砂浜に脂が浮いて来る場所がある。そこに遺体が埋まっている。

<ガソリンの使い道>
・自分の車は軽油車だったから、車に関してはガソリンで困ることは無かったし、灯油でも走ることができた。職場関係で灯油を保存しているところから灯油をもらって、走ることができた。
・発電機もバッテリーも十分にあったから、無線で発信することもできたけれど。自宅に集まった避難者のこと(つまり当座の生活のこと)を考えるとガソリンを無線機用に使うことができなかった。
・自分の車は軽油車だったから、ガソリンで困ることは無かったし、灯油でも走ることができた。

<火事場泥棒>
・火事場泥棒はすぐに現れた。見知らぬ人がいたので声をかけたが、遠くから家族を捜しに来た、と言われたら何も言えなくなった。でも、手当たり次第に、バックを開けて中身を確認していた。
・津浪の後で、物を探しに出かけた人が、めぼしい物があるとマジックで自分の名前を書き入れていったそうな。でもそれを自宅があったところに積み重ねていたら、それをごっそりと盗まれてしまったらしい。神も仏もいるわけだなぁ。
・火事場泥棒がすぐに現れて、深夜に懐中電灯で海岸近くを歩いていたのが、まるで蛍の光のようだったが、その23時頃の大きな津浪で払われてしまったようだ。今も行方不明と聞いている。神や仏はいるんだなと思った。(再掲載)

<気がつかない? 逃げるを知らない?>
・津浪が来ているのにわからずに店内の掃除をしている人がいた。「津浪が来ている、早く上に上がれ」と何度も叫んだのを聞いて、かろうじて逃げることができた。そのご夫婦は「天からそういう声が聞こえたから逃げた」と言ったそうだ。
・陸前高田の人の多くは津浪が来ても逃げることが思いつかなかったのではあるまいか。津浪、即逃げる、が教育されていなかった可能性がある。
・家訓で、どんな小さな注意報でも、何も持たずに高台に逃げろ、と言われていた。でも、他の家では何もしないのに、こんなことをしていていいのか、という思いもあった。震災の日は、大きな揺れだったから、それでも家訓に従って家を飛び出して高台に避難して命が助かった。(岸壁のそばに住んでいた)
・広田町の海に近いところに住んでいるあるご婦人は、ご主人が戻らなければ一歩もそこを動かないと言い張ったらしいが、なんとか津浪の直前に、他の人に手を引かれて逃げて無事だった。
・津浪のビデオを撮影していた人が、反対側から線路伝いに来た津浪で亡くなった。ビデオ撮影していると自分の位置がわからなくなる。自分は携帯電話を持っていなかったから、生き延びることができたのだと思う。もっと多くの人がビデオやら写真撮影をしていながら波にのまれたのではないかと思う。

<自衛隊の活躍>
・一旦避難した後で有志を募って遺体捜索に出かけたが見つけることはできなかった。後で同じ場所に自衛隊が入って捜索をしたら、そこから6人が見つかった。一つの遺体を見つけると、そこに白い旗を立て、その付近を捜索している自衛隊員がみなそこに集まり合掌をする。とても遺体を丁寧に扱っていて有り難かった。

<避難所で・・・自分ができることを精一杯やった>
・津浪で運良く逃げおおせた後で、お寺に避難していた。職業柄、お寺への出入りがあった。すぐにお墓に行って、集められるだけのロウソクを集めた。またお寺に保管してあるロウソクをもらったり、他のお寺にも行ってロウソクをひたすら集めた。
・仕事から帰ったら必ず小銭入れから小銭を出して保管しておいたんだけれど、その中から5百円玉を奥さんがこっそりへそくりにしていたらしい。震災後に変色したお金を仕方なく奥さんが出してきた。変色していたお金を1枚1枚酢で洗って数えてみたら30万円にもなっていた。30年間のへそくりだった。それを、寄付したとのこと。まったくできた夫婦だよ。
・山の中腹にある職場には大勢の避難民が来ていた。古い建物を保存している場所なので、鍋釜が使えて火もおこせる状態にあった。乾麺を自宅から大量に運びこんで、まずは身体を温めて欲しいと思い、みなに振る舞った。その職場で2週間、避難民のために尽くしたが、上司からもう自宅のことをしなさい、と言われて帰宅した。
・夜間に灯りを付けると、やっかみが起きる可能性があったから、発電機は明るいうちに使って、日暮れとともに寝て夜明けと共に起きるようになった。
・お風呂に入りたいから、30L入れられるタンクに水を入れて運んだ。でも、お風呂に入る順番は子供達が先で、結局、自分が入る時には水位は数センチほどで入れなかった。

<トラウマ>
・津浪の後から必ず午前2時目が覚めてしまうようになった。トラウマになった。
・家訓で、どんな小さな注意報でも、何も持たずに高台に逃げろ、と言われていた。でも、他の家では何もしないのに、こんなことをしていていいのか、という思いもあった。震災の日は、大きな揺れだったから、それでも家訓に従って家を飛び出して高台に避難して命が助かった。(岸壁のそばに住んでいた)(再掲)
今は、高台に引っ越したので30mの津浪が来ても安心な場所に住んでいるけれど、地震の度に、びっくりして逃げようとしたり、気持ちが落ち込むなどする。PTSD状態になってしまった。

<津浪来襲>
・阪神淡路大震災の時にも縁があった。東日本大震災でも2日前に陸前高田市内を散歩したし、当日の午前中には、年度末だからと消耗品を過剰なほどに購入。生活で使うお金も引き出しておいたし、食料も多めに購入していた。そしてその日の午後に津浪が来た。自分は山の中腹にある職場から津浪の一部始終を見ていた。気持ちが動いたのは最初だけだった。なんかこれを目に焼き付けて後世に語りついでいくのが自分の使命だと、そのとき天の声を聞いたと思った。それからしばらくは何の感情も起きず、ただ、陸前高田市が津浪に襲われていくのを見守った。
・一旦逃げたけど、ものを取りに戻った人の多くが津浪にやられた。自分も携帯電話を持っていないことに気がついて海岸のそばにある職場に戻ろうとしたけれど、鍵を開けるのに戸惑って諦めた。職場の入り口が津浪の死角に入っていたから怖くて仕方がなかった。そしてとりあえず、すぐ近くを走っているJR大船渡線の線路に上がった。ほどなくして津浪が来襲。津浪は線路と交差している旧国道のをまっすぐに駆け上がった。ここにいてはダメだととっさに思って、法面を上がろうとしたが革靴だったためと刈ったばかりの草地で滑って上れなかった。なんとか上って、道路沿いに止めていた車に乗りエンジンをかけた。車のタイヤはすでに津浪の波を被っていた。そこでもしエンジンが掛からなかったら、その車は捨てようと思ったけれど、一発でエンジンが掛かったので、そのまま高台に逃げることができた。
(車や携帯に固執せずに助かった)

<家族、家>
・自分の家があった場所に行ったら、自分が使っている野球のヘルメットが落ちていた。その先には自分が最近購入したパンツがあるのを奥さんが見つけた。そしてその先に2階屋の自宅が平屋になってあった。
・ご主人が陸前高田市内にいて被災したらしいことを聞いて、いてもたってもいられなくなった。後で無事生還して再会できたけれど、夜寝ている時に、本当にこの主人は生きて帰ってきたのか、足がないのではないかと、幾度も足を触っては、生存確認をした。

<震災後の話>
・自分の車は子供が乗っていってしまったので、家族の車を借りて仕事に行こうとして、スリップしてガードレールの隙間から水路に落下してしまった同級生がいる。ガードレールに擦り傷でもあれば、すぐに事故に気づいた人もいたかもしれないが、ガードレールの隙間から落ちたので、しばらく誰にも気づかれなかったようだ。自分の車ならまだしも、他の車だったために逃げられず、そのまま水死してしまった。悔やんでも悔やみきれない事故だった。
・海の中にはまだまだ瓦礫がある、車なども海中を覗くと見える。一応、遺体の捜索はしたようだけれど、あれが残っていると漁に支障がある。でも、今更引き上げたところで大変。お金もないし。特に座布団などはひどい臭いがする。

<その他>
・大船渡や気仙沼の車の残骸は、車の形を保っていたが、陸前高田の車の残骸は、どうすればあんなに潰れるのかと思うほどグシャグシャに潰れてスクラップのようだった。なぜだ。
・大船渡市内の場合は、家の基礎の部分がみな一様に折れて、そのままの形のままで家々が流された。

<不満>
・沼や海の捜索。自衛隊員のような捜索はしない形だけの捜索では見つかるものも見つからない。
・復興住宅も、高台の家(または土地)もがら空きだ。
・陸前高田の土盛りした場所、あんなやり方では。。。道路も毎回通行止めの場所が変わる。あれでは地元の人でも迷ってしまう。



また、思い出したら追記します。


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by WofNaka | 2017-08-17 00:24 | 災害&ボランティア

東日本大震災の前後を比べる

東日本大震災の後、多くのボランティアが被災地を訪れ、復興に尽力いただきました。

が、震災前を知らない方々には、どこがどれほど破壊されたのかを知ることはできなかっただろうなと思うのです。

そこで、様々な方々から提供されたり、自身が撮影した写真で、その前後を比較してみます。
新たに写真が出てきたら、追記していきます。

★まずは、陸前高田市高田町をYahoo地図で比較します。
左側、こんなにこちゃこちゃと家があったのが、右側、全くの更地と化しています。そして、恐ろしいのは、こんな中に避難場所が何カ所もあって、ことごとくやられてしまったということです。みんな信じて避難したはずなんですよ。
a0265144_20532746.png

地図上の場所は、この赤線のあたりかな。
a0265144_21002006.png
まぁ、陸前高田市は広いんで。何せ東京23区の西半分ぐらいの広さはありますからね。

★次の写真は、私の実家の側から、西側を見た写真。矢印方向の撮影です。
a0265144_21084418.png
左側の震災前の写真の正面の海の手前にもやって見えるのが、上の地図の長方形部分にある集落です。
でも、右側の震災後の写真では何も見えません。そうです、全て流されました。多くの方が今も行方不明なのです。
a0265144_21103073.png
★次の写真です。
50年ほど前のチリ地震津波の時は、下の地図の小友町と書かれている付近は海でした。そう、ちょうど、ホームペースを横にしたような形の地域は海でした。北を道路が、南の水路あたりに囲まれた地域です。
a0265144_21133430.png
写真は、その下方から矢印の方向に撮影されています。
a0265144_21162494.png
真ん中から、ごっそり持ってかれています。
右の写真をよく見ると、構造としては土盛りされた上にコンクリートが被せてあります。こんな構造なんですね。砂山を単にコンクリートで固めただけみたいです。これでは壊れるのは、当たり前なのでは、との素人考えですけど。

★写真の右のプールは、小友小学校のプールです。
 解説は必要ありませんね。
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こんな風にして、過去の美しい景色と、震災後の状況をお伝えしていければと思っています。

副題としては「たしかにそれはそこにあった」でしょうかね。







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by WofNaka | 2017-03-15 21:20 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

東日本大震災の前後を比べる

東日本大震災の後、多くのボランティアが被災地を訪れ、復興に尽力いただきました。

が、震災前を知らない方々には、どこがどれほど破壊されたのかを知ることはできなかっただろうなと思うのです。

そこで、様々な方々から提供されたり、自身が撮影した写真で、その前後を比較してみます。
新たに写真が出てきたら、追記していきます。

★まずは、陸前高田市高田町をYahoo地図で比較します。

a0265144_20532746.png

地図上の場所は、この赤線のあたりかな。
a0265144_21002006.png
まぁ、陸前高田市は広いんで。何せ東京23区の西半分ぐらいの広さはありますからね。

★次の写真は、私の実家の側から、西側を見た写真。矢印方向の撮影です。
a0265144_21084418.png
左側の震災前の写真の正面の海の手前にもやって見えるのが、上の地図の長方形部分にある集落です。
でも、右側の震災後の写真では何も見えません。そうです、全て流されました。多くの方が今も行方不明なのです。
a0265144_21103073.png
★次の写真です。
50年ほど前のチリ地震津波の時は、下の地図の小友町と書かれている付近は海でした。そう、ちょうど、ホームペースを横にしたような形の地域は海でした。北を道路が、南の水路あたりに囲まれた地域です。
a0265144_21133430.png
写真は、その下方から矢印の方向に撮影されています。
a0265144_21162494.png
真ん中から、ごっそり持ってかれています。
右の写真をよく見ると、構造としては土盛りされた上にコンクリートが被せてあります。こんな構造なんですね。砂山を単にコンクリートで固めただけみたいです。これでは壊れるのは、当たり前なのでは、との素人考えですけど。

こんな風にして、過去の美しい景色と、震災後の状況をお伝えしていければと思っています。

副題としては「たしかにそれはそこにあった」でしょうかね。







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by WofNaka | 2017-03-15 21:20 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

東日本大震災の前後を比べる

東日本大震災の後、多くのボランティアが被災地を訪れ、復興に尽力いただきました。

が、震災前を知らない方々には、どこがどれほど破壊されたのかを知ることはできなかっただろうなと思うのです。

そこで、様々な方々から提供されたり、自身が撮影した写真で、その前後を比較してみます。
新たに写真が出てきたら、追記していきます。

★まずは、陸前高田市高田町をYahoo地図で比較します。

a0265144_20532746.png

地図上の場所は、この赤線のあたりかな。
a0265144_21002006.png
まぁ、陸前高田市は広いんで。何せ東京23区の西半分ぐらいの広さはありますからね。

★次の写真は、私の実家の側から、西側を見た写真。矢印方向の撮影です。
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左側の震災前の写真の正面の海の手前にもやって見えるのが、上の地図の長方形部分にある集落です。
でも、右側の震災後の写真では何も見えません。そうです、全て流されました。多くの方が今も行方不明なのです。
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★次の写真です。
50年ほど前のチリ地震津波の時は、下の地図の小友町と書かれている付近は海でした。そう、ちょうど、ホームペースを横にしたような形の地域は海でした。北を道路が、南の水路あたりに囲まれた地域です。
a0265144_21133430.png
写真は、その下方から矢印の方向に撮影されています。
a0265144_21162494.png
真ん中から、ごっそり持ってかれています。
右の写真をよく見ると、構造としては土盛りされた上にコンクリートが被せてあります。こんな構造なんですね。砂山を単にコンクリートで固めただけみたいです。これでは壊れるのは、当たり前なのでは、との素人考えですけど。

こんな風にして、過去の美しい景色と、震災後の状況をお伝えしていければと思っています。

副題としては「たしかにそれはそこにあった」でしょうかね。







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by WofNaka | 2017-03-15 21:20 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

あー陸前高田

・アマチュア無線を開局した当時の【陸前高田市】
  めちゃくちゃ珍しがられ、CQを出せばパイルアップ(猛烈に呼ばれる)になった。
・千昌夫の出身地の【陸前高田市】
  出身地が陸前高田市で、千昌夫の出身地と同じ、って言ったら、「味噌汁の歌」を思い出したと笑われた。
・岩手県南三陸【陸前高田市】
  アマチュア無線でCQを出す時には、必ずこう言った。


・東日本大震災の直後、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  あー。。。と気の毒がられた。

・東日本大震災の一週間まで、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  あー。。。と気の毒がられた。

・東日本大震災の一週間後、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  えーと。。。
   あの壊滅的な、と補足すると。
  あー。。。と気の毒がられた。

・東日本大震災の一ヶ月後、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  あの、一本松の。

・東日本大震災の一年後くらいまで、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  (どこだっけ)
   あの東日本大震災で壊滅的な被害。。。と補足すると。
  あー(知っている)。

・東日本大震災の三年後くらいまで、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  ???
   あの東日本大震災で壊滅的な被害。。。と補足すると。
  ・・・(何を考えているのかわからないが、無反応)

・東日本大震災の五年後、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  あー。。。と気の毒がられた。

・東日本大震災の五年後のあと、出身は【陸前高田市】です、と言うと。
  (もういいよ、と言わんばかり)


そんな(私が感じた)東京の反応です。


アマチュア無線では、【こちらは陸前高田市、0311です】と伝える。
03は岩手県、11は陸前高田市の番号。因みに、北海道は01、東京は10。盛岡市は0301。

因みに。。。「陸前高田市の噂」サイトがある。
東日本大震災の前は、結構笑えたが、今は、懐かしさでいっぱいになる。
みなさん、懐かしがって下さい。

追記)
 そういえば、学生の時、大学の事務局員に「高田」のローマ字が「TAKADA」じゃないのか、といちゃもんを付けられたっけ。おまえ、地元民にいちゃもんつけて勝てるわけないだろ、って思った。
結局、駅名のアルファベットを思い出して、私の勝ちとなったが。まったくくだらん大学の事務員のえらそうなおっちゃんだった。



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by WofNaka | 2017-03-11 23:22 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)

あのとき。。。のメールが出てきた。

メールの整理をしていたら、本来関係のないメールのところから、東日本大震災直後のメールが出てきました。

件名以外の【】は伏せたいところです。

☆2011/03/13 10:13
件名>【お願い:緊急】災害現地から連絡があり
宛先>
 以前活動していた災害救助犬のリーダー、
 ヘリコプターのパイロットの知人、
 親友の主治医、
 バイクレスキューのリーダー、
 東北のお医者さんのネットワーク、
 当時所属していたアマチュア無線クラブのML、
 当時所属していた災害系ボランティアの役員、
 連絡をしてきた小友人会のスタッフ。
内容>

宛先 各位


 【なかちゃん】と申します。


 本メールは、災害救助のプロと思われる方宛てにBCCで送っています。


今回の東北の地震で避難している方から連絡が人づてでありました。

電話番号を入手しています。

 この電話番号を闇雲に伝えると現地のためにならないと思われます。


 どなたか、確実につながって、頼りになる方の電話番号または、メールアドレ

スを教えてください。


 現地は、陸前高田市小友町にあるキャンプ場のモビリオで、現在、電気は使え

ていて、TVを見れる。携帯はAuのみ使えるが、先ほど電話したところ、繋がりに

くい。食料がそこを尽きかけていて、40~100名が避難しているとのこと。

ちなみに、避難者名簿には載っていない方々です。


私の携帯は、【】です。



以上、宜しくお願いいたします。


2011/03/16 18:28
件名>現地の情報
内容>

お疲れ様です、【なかちゃん】です。


 3/13から先ほどまで、現地からの小さな情報を集めて関係者に流すという取り

組みを仕事にも行かず行いました。


 陸前高田市の津波は20mと言われていますが、どうやら、最初に数mの津波

があり、それで助かった人たちの多くが第2波の20mを回避できたらしいこと

がわかってきました。また、どうしても車での移動を余儀なくされた人たちの多

くが波に飲まれたらしいのです。珠繋ぎの身動きができない列を津波が襲って、

という生々しい話も入ってきています。


 私の実家がある小友町は、駅周辺と海岸縁の家々が津波に飲まれ、更地化して

います。私の実家の下数mまで津波が迫ったような話を聞きました。実家のすぐ

下には小中学校がありますが、どれも避難所としての機能は果たせないほどの惨

状です。


 実家がある柳沢地区の住民には奇跡的に人的被害がなく公民館に避難している

ことがわかりました。実家にある井戸が使われているということで、先祖に感謝

です。


まぁ、話をすると切りがありませんが、近所に避難している人がかなりの箇所に

昇るようですが、避難者名簿には載らずに最後まで取り残されそうな状況が不安

材料のひとつです。家も人も無事な人は、自分を避難民と思っていない可能性が

あるからです。


 明日から会社に行こうと思います。


 こんな体験をして思うことは、今の段階は、行って役に立つ人に任せるべきで、

心配だからといって闇雲に行動すべきではない、ということです。必ず、必要と

される日が来ます。それまで、自分のできる範囲に取り組む事が大切だと思いま

す。


長くなってしまいました。以上、ご報告いたします。



2011/03/16 22:00

件名>災害現場避難所からのSOSについて

内容>

お疲れ様です、【なかちゃん】です。


無理を言ってすみません。


最新の情報も交え、下記送ります。

稲城消防署、立川警察、東京消防庁では埒が明きませんでした。

現地の消防署へ連絡してとの助言もありましたが、すでに津波で流出してありま

せんし、近隣も甚大な被害です。


避難場所)

陸前高田オートキャンプ場モビリア

〒029-2207岩手県陸前高田市小友町字獺沢155-78

【Tel】0192-57-1020 【Fax】0192-56-4550


http://www5.ocn.ne.jp/~mob/


連絡者)

 【】さん(男性)

 携帯番号:【】



状況)

 電気がありTVが見れる。

 携帯はAuのみ利用できる。充電も可能。

 避難者は、避難者名簿にありますが、40~100名

 電気はあるけど食料がない。ここが一番の問題。


 場所は、広田半島の仁田山中腹に位置する。

 また、最初の電話(3/16 AM10時前)の後、連絡がないところからすると、携

帯電話が利用可能な場所への移動が必要なのかもしれない。


以上、宜しくお願いいたします。



2011/03/16 22:56

件名>【お願い:緊急(その後)】災害現地から連絡があり『訂正』

宛先>

 以前活動していた災害救助犬のリーダー、
 ヘリコプターのパイロットの知人、
 親友の主治医、
 バイクレスキューのリーダー、
 東北のお医者さんのネットワーク、
 当時所属していたアマチュア無線クラブのML、
 当時所属していた災害系ボランティアの役員、
 連絡をしてきた小友人会のスタッフ。

内容>

宛先 各位


 【なかちゃん】と申します。


 本日、首記のような無理なお願いメールを出しましたが、その後の状況は以下

のとおりです。

結論から言って、打つ手なしで、対応いただいた皆様方、ありがとうございまし

た。


・現地からの追連絡はなし。

・立川警察署では管轄外と言われ。

・稲城消防署からは現地の消防署へと言われ。(津波で流されてありません)

・都の消防庁へ連絡も「それは国の仕事」と言われ、たらいまわしに会いました。

・仙台では、大学病院に働きかけていただいています。

・東京の災害系ボランティアにも働きかけていただいています。

・岩手県知事のTwitterは関係者が見るとのことでそこにつぶやく。

・NHKに連絡すれば、ということで連絡を取ろうとしても話中でダメ。


 22時のNHKニュースで陸前高田市への道路が開通したとのことで、そこに望み

をつなごうかと。働きかけていただいているところは、引き続きお願いすること

にして、本件、クローズとさせていただきます。


本当に、ご協力いただき、ありがとうございました。


以上、ご報告いたします。


2011/03/16 23:30

件名>【お願い:緊急(その後2)】災害現地から連絡があり『訂正』

宛先>

 以前活動していた災害救助犬のリーダー、
 ヘリコプターのパイロットの知人、
 親友の主治医、
 バイクレスキューのリーダー、
 東北のお医者さんのネットワーク、
 当時所属していたアマチュア無線クラブのML、
 当時所属していた災害系ボランティアの役員、
 連絡をしてきた小友人会のスタッフ。

内容>

宛先 各位


 【なかちゃん】と申します。

何度もすみません。
 たった今、救助犬の活動から戻られた方から電話をいただきました。

・自衛隊は、本SOSを知っている。
・ただ、道がないときは作りながら進む。時間がないときはヘリで吊り上げる。
・自衛隊は、一軒一軒しらみつぶしに探しながら何度も確認するので、避難者の
取りこぼしはない。
・今晩の寒さが気になる。

ということで、陸前高田市まで道が開通したため時間の問題、ということになり
ます。もう、自衛隊にお任せです。

何度も、メールしてしまい、申し訳ございません。

ありがとうございました。


☆2011/03/16 23:56

件名>Re: 【お願い:緊急(その後)】災害現地から連絡があり『訂正』

送り元> 当時所属していたアマチュア無線クラブのML

内容>

【なかちゃん】さん


全くお役に立てず済みません。


今回の災害は、想像を絶する規模のものです。

現状では、エキスパートのみ立ち入りを許される領域なのだと思います。

とても歯がゆい気持ちで一杯ですが、

訓練を受けた自衛隊等の活躍に期待するのが一番早く正確な判断の基に救助活動が出来るものと思います。


キャンプ場に100人程度の避難者が居るということは、

昨日のテレビ朝日で取り上げられていたようにも思いましたので、

道路が開通しましたので、もう少しの辛抱でしょう。


先の阪神淡路大震災の際は、仕事の関係もあり私も現地入りしましたが、

交通・電気・水道・ガス等のインフラ無しの状況は、通常ではありえない経験を味わいました。


今は、ただただ少しでも多くの人たちが助かることを祈るばかりです。

そして、現地の方々の生命維持を妨害するような、

不謹慎な買占め行動などが これ以上起こらないことも祈っています。


お知り合いのご家族が、どうかご無事でありますように。


☆2011/03/17 10:55

【】様


【なかちゃん】が,郷里の孤立したシェルターからのSOSを受付けましたが,

東京であちこちあたってもダメなので,【】にメールが来ました.

【】に依頼して,

たった今,県の災害対策室に連絡がとれたようです.

これからの救援が間に合うとよいのですが・・・

陸前高田市の有名なキャンプ場で,【】のすぐそばです.


☆2011/03/18 09:59

件名>Re: 【お願い:緊急(その後)】災害現地から連絡があり『訂正』

送り元> ヘリコプターのパイロットの知人さん

内容>

【なかちゃん】さま


連絡が遅れて申し訳ありません。

現在、私どもは公益社団法人危機管理協会で被災地への救援物資輸送、

及び医師の派遣を実施する為に準備しております。

一昨夜、遅く政府の承認を頂き、また昨夜岩手県の防災本部からの承認を頂き、

航空機による(固定翼及び回転翼)緊急支援を実施することができるようになりました。

この2日間紆余曲折で官僚の壁が大きく時間を要しました。

本日より、とりあえずヘリコプター(回転翼)による支援を行います。


現地の情報を一度整理して、大変申し訳ありませんがメールで送っていただけますか。

よろしくお願い申し上げます。


☆2011/03/19 21:39

件名>【お願い:緊急(最終報告)】災害現地から連絡があり『訂正』

宛先>

 以前活動していた災害救助犬のリーダー、
 ヘリコプターのパイロットの知人、
 親友の主治医、
 バイクレスキューのリーダー、
 東北のお医者さんのネットワーク、
 当時所属していたアマチュア無線クラブのML、
 当時所属していた災害系ボランティアの役員、
 連絡をしてきた小友人会のスタッフ。

内容>

宛先 各位


 【なかちゃん】と申します。


 本件、昨日キャンプ場に自衛隊が入った旨、さきほど【】から連絡をもら

いました。


皆様のご協力に感謝いたします。


まだまだ、終わりませんけれど、引き続き、ご支援を宜しくお願いいたします。


以上、ご報告いたします。



☆2011/03/19 22:07

内容>

【なかちゃん】です。

 大変ご心配をおかけいたしました。また、ご協力感謝いたします。


今回、現地からの1本の電話(3/16 AM10時着)をどうしたものかと、非常に迷

い悩みました。どこもみな同じ、と思えば思えなくもありませんでしたが、こち

らを頼って連絡してくれた方を無視するわけにはどうしてもいかなかったのです。


 そこで、消防、警察、マスコミ、医療関係、災害ボランティア、岩手県知事の

各所に依頼して形だけの取り組みではなく、本当に現地に物資を送ってくれる人

を探しました。

結果、【】関係者から、岩手県の災害対策本部に連絡をとってい

ただくことができました。(これが3/17 14時以降)

そして、先ほど、【】から昨日(3/18)に自衛隊が入った旨、連絡がありました。


私にとっても、とても長い時間に感じましたけど、たったの2日だったんですね。

でもこの間、マイナスの気温、降雪などで、150mほどの山腹では命に関わるほと

危険な状態であっただろうと想像いたします。

陸前高田市は、青梅市よりも大きく広いのです。例えば、私が一関市から車で実

家に向かうのに約1時間半かかりますが、陸前高田市には30分ほどで入ってし

まいます。ですので、陸前高田市に道が通ったと言われても、全く喜べなかった

のも事実です。ただ、もう自衛隊を信じて待つしかないと、言われ、ただひたす

ら祈る思いでした。


 間に合って、本当によかったです。ありがとうございました。




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by WofNaka | 2017-03-07 23:08 | 災害&ボランティア

ふれあい『絆』防災フェアの基調講演を聞いてきた

今日は。。。
「ふれあい『絆』防災フェア」が立川のRISURU大ホールで行われたので講演を聞きに出かけました。

基調講演は、防災システム研究所所長の山村さんの講演でした。
(<<<>>>は重要な部分です)

・正常型バイアス・・・都合の悪い情報は無視する。
 来週、大地震が来ると考えて準備する。
・加害者にもならず被害者にもならず。
・災害の後の訓練ばかりやるが、生き残るための訓練をやるべきではないか。
・災害予防訓練・・・自分が閉じ込められない、火を出さない訓練。
・在宅被災生活訓練・・・避難所は本来は行かない方がよい。避難所は家が壊れた場合に行く場所。
 家で、電気ガス水道を1日止めた生活をしてみると、いろいろなことがわかる。
・形式的な訓練は「防災ごっこ」だ。
・ご近所防災隣組(糸魚川市の火災の例)
 防災に対して情熱がある方が取り組んだから犠牲者が一人もでなかった。
 例えば、新年会では役員だけが集まるのではなく、住民全員を対象にしたり。
・夜間の防災訓練をなぜやらない。
・防災とは、人の命を守ること。助かった命を守ること。避難所で犠牲になるようなことがあれば、それは自治体の責任だ。
・断水で水が使えなくなるのではなく、下水で使えなくなる。
 集合住宅などでは、地震が起きたら、まずは下水が大丈夫とわかるまでトイレは使わせないようにしている。
 下水が詰まると、詰まった物が固まって修理が大変。
・インフラは2週間ダメだと思って準備する。
・新しい耐震構造の建物でも安心できない。1度の揺れには対応できても2度めの揺れには対応しない可能性もある。
・避難場所が必ずしも大丈夫とは限らないから、複数の避難場所を考える必要がある。
・避難場所がまず大丈夫かどうかを、利用する前にチェックできる利用可能チェックリストを作っておくとよい。
 鍵を誰が持つかも。
・将来、車避難者専用の避難所を用意する必要があるかもしれない。
・避難所の成功例(熊本地震)
  最初の地震でスマートフォンなどで安否確認を行い、救助対象者はすぐに皆で助けた。
  避難所に町内会毎にスペースを設けた。
  女性や子供に優しい避難所にした。
  この地区は新しく引っ越して来る人に優しい地区だった。
  1人1役。全員が役割分担。笑顔の避難所にした。
  役員の電話番号の一覧表を貼りだした。
・東日本大震災で津浪で逃げる人の映像について
  歩いて見える人で生き残った人に聞いてみた。なぜ歩いていたのか?
  自分では走っているつもりだったが、焦って、結果的には歩いているようにしか見えないことになった。
・凍り付き症候群・・・正常型バイアスの人に多い。
  生き残るための訓練が必要。
  自分の命は自分で守る認識を持つ。
  小さい揺れ(P波)の時に如何に安全な場所に逃げるか。

<<<状況によって待避行動は異なる>>>
<<<安全ゾーンを作る>>>
 転倒、落下物が少なく動ける安全な場所を作る。
<<<緊急地震速報が鳴った時どうするかを訓練する>>>
 訓練の時と同じように、安全な場所に避難する。
 玄関は比較的安全ゾーン。
 これからは、小さい地震でもまず玄関を開ける、ことを習慣とするように訓練する。
 その積み重ねをしていけば、正常型バイアスにはならない。

・地震の揺れのマップが出ているが、あれは信じてはいけない。
  どこでも震度6強に備える。
・近助
  公助には限界がある。
  自分の命が助かったら、避難所に行くのではなく、その場で近所の安否を確認するなど、その場で戦う。


だいたい、こんな感じですかね。
で、私がさらに思ったことは、災害にとどまらず、普段の、そうね、例えば福祉についても同じように考えたらいいのかな、と思った次第です。



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by WofNaka | 2017-02-04 21:33 | 災害&ボランティア | Trackback | Comments(0)


1961年生れ/東ニ病気ノコドモアレバ…西ニツカレタ母アレバ…南ニ死ニサウナ人アレバ…北ニケンクヮヤソショウガアレバ…/弱い立場中心の世の中に/陸前高田市が故郷 @WofNaka


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